2013年 02月 27日
染色部とはこれいかに |
idyllさんのブログで、柿渋染めについて書かれていたので、コメント欄に「染色部部長ですっ!」と乱入してまいりました 笑。
おうちにある豆柿の実から柿渋を作るところからやってみたい!と言ってらしたのですが、柿渋って匂いがきついし粘りが出ないように保管するのが大変だし、市販されている「染色用柿渋液」を買ったほうが早いですよぅ〜、なんてことを書きながら、そういうわたくしもタデアイを栽培して生葉染めをしたことがあるので「手間が」とか「効率が」とか言えた義理ではないのを思い出しました、ははは。
で、写真が見たいとおっしゃるので探してきました…95年2005年(もしかしたら04年かも)の夏…のはずでございます。
Idyllさんのコメントで初めて10年間違っていることに気づきました…は、恥ずかしすぎるぅぅぅ 泣。
撮影したデジカメは前世紀(=20世紀)に購入したものです 笑。

(リビングだと思うのですが、椅子しかない…? やたら座面の高い中国のアンティークを買ったので、テーブルはオーダーで作ってもらったのですが、夏にはまだなかったかも…汗)
たしか、左が夫の作品、真ん中と右とがわたくしの作品です。一応、たこ糸で縛る程度のことをしたはずです。染色用の絹の無地のストールです。両サイドは表面がざらっとしたデシン、中央はサテンだったかと。
夫は美的センスがあるので(わたくしと結婚した理由は謎)青い空に白い雲が流れているような模様になったのですが、わたくしは技巧に溺れていじくりまわしていたら色が濁ってしまい(右側)、急いで残っていた藍を摘んできて、染め直したのが真ん中のものでございます。
まあ、色としては「瓶覗き」程度ですが、相対的に藍の葉の量が少なかったことが最大の原因だと思われます。
造成されたばかりでほとんど栄養分のないまさ土に直播きし(しかも家の裏手にあたる北側に)、定植もせず(たしか…)、かなりテキトーに栽培したわりには頑張って大きくなってくれましたが、それでも葉っぱだけにすると大ぶりのボウル1杯くらいだったように思います。
あ、茎から葉っぱを取る作業もけっこう面倒でした 笑。
葉っぱと水とをミキサーにかけてふきんで漉した液は、ごくフツーの植物の汁の緑色でしたが、濡らして絞った生地を浸けてしばらくたぷたぷと揺らし、引き上げると濃い草色だった生地が空気に触れて見る見る青くなってゆくのは不思議でもあり、楽しくもあり。
idyllさんのところには、野菜を作れるほどの土質&広さのある畑がおありだそうですから、真面目に栽培すればストール1本くらいは藍色に染められると思います(保証はできませんが…汗)。
ただし、この「生葉染め」、色素がタンパク質にくっつくのを利用しているので、ウールや絹など動物性のものしか染まりません。木綿や麻は…呉汁(水で戻した大豆をミキサーにかけて漉したもの…まあ、言うたら薄い豆乳です)に浸けたりして処理すれば染まらなくはない…とは思いますが、素晴らしく褪色いたします。
約8年後、2013年現在はどうなっているかというと…。

ただ面白がって染めただけで、1回くらい使ったことがあるかなあ、どうかなあという程度、あとはねじねじしてクロゼットの中の引き出しの奥で眠っていたので、日光や洗濯で褪色したわけではありません…。
というわけで、綿や麻を合成のインディゴではなく「藍」で染めるならば、水で薄めるだけの液体の藍を買ってくるか、収穫した藍からすくもを作るかだと思いますが、柿渋を作ろうという情熱があればすくもも作れるのではないでしょうか(こちらも保証はできません 笑)。
買って来たすくもからハイドロ建てで木綿を染めたことはありますが、すくもを作ろうとは思ったこともございません 汗。
でも、もうほとんど絶滅していると言っても過言ではない(いえ、頑張っている染色家さんや農家さんがいらっしゃるのは知っていますが…)日本の藍を種から育てて、最終的に仕立てるところまで自分でできたら、それはそれは充実感があると思います。
ちなみにわたくしの「染色部部長」というのは自称ではなく、中学校に本当に「染色部」があって部長をしておりました。今はどうなっているのかわかりませんが、わたくしが中学生のときは、週に1コマ授業の時間を使ってやる「正課クラブ」と、放課後にやる「課外クラブ」とがございました。スポーツで大会に出たりするのは「課外クラブ」のほうですね。
で、染色部も「課外クラブ」だったのでございます。
ろうけつ染めで模様を描いて藍染めをしたり、なぜかレザークラフトなどもしておりました。レザークラフトの革や、染め物の生地代くらいは自分持ちでしたが、道具類は学校持ちでございました。染色用のほうろうの寸胴鍋や電気式のろうを溶かす器具、レザークラフトの刻印など、値の張るものは学校持ち…と言っても、各部活と予算の折り合いをつける会議なども当然ございます。
普段から、カタログを見ながら「アルファベットの刻印欲しいね〜」とか言っているので、予算はなるべくたくさん欲しいところでございます。
染色部の活動など、とくにチームワークなど必要ありませんから、部長と言っても肩書きだけなのですが、唯一部長らしい仕事がこの「予算取り」。
なんだかんだとうまいこと丸め込んで、野球部の次くらいにたくさんお金を貰っておりました。
…部員、3人しかいなかったんですけど 笑。
スポーツ系の部活同様、夏休み期間中も週に1度くらいは学校に来て「部活」をしなくてはならないのですが…そのときに部費でアイスを買ったことは秘密です(爆)。時効ですよね…汗。
実験的側面の強い学校であったことも関係があるのかもしれませんが、妙な学校でございました。
4月、学年が変わって最初の体育の授業は必ず「行進の練習」。
先生の「ぜんたーい、とまれ(いち、に)」で足音が全員びたっと止まるまで延々やり直し。
行進しながら二列縦隊を三列縦隊に、そしてまた二列に。
「番号!」と言われれば首だけ横に動かしてものすごい速さで番号をかけ、最後の人は手を挙げる。
そして「解散!」と言われたら返事は「わかれます!」。
春の社会見学、秋のバス旅行などは一切なく、代わりにあるのは夏休み期間の「宿泊訓練」と秋の登山。
この宿泊訓練というのが、かなりヤバいラインまで肉体を酷使するもので、山に行けば炎天下で本気のオリエンテーリング。地図と磁石とを頼りに、ポストを探して走る走る。海に行けば全員参加の遠泳は2キロ。「夜、布団の中でコイバナ」とかありえません。みんなただ泥のように眠るばかりでございます。
もちろんおやつなど厳禁。屋外でぜえはあ言っている間に荷物検査をされ(今だったら問題かも…)、かばんの中はもちろん、スカートのポケットに入れていたガムまで没収される始末。唯一見つからなかったのは、避難ばしごの赤い箱の中にキャンディーをひと袋隠していた勇者Tちゃん 笑。
朝は国旗掲揚から始まり、夕方には国旗降納、国旗のたたみ方までもれなく習います。
秋は登山…と言ってもスニーカーにジャージ程度で日帰りで行けるようなところでしたが、もちろんこちらもおやつ禁止…どころか、お昼のお弁当におかず禁止…。あ、梅干し1個までは可でございました。
中学生活を通して、おやつを持っていってよいのは三年生の修学旅行だけでした。ここまでくると、学校単位で出かけるのに、お菓子があるほうが違和感を感じるようになっています 笑。
体育以外の授業もヘンでした。
数学は、新しい単元が幾何ならば「次の授業ははさみを持ってくること」。1時間ずっと画用紙に線を引いて切ったり折ったり。代数ならば先生が任意で当てた生徒に「好きな数言って」。その数を式に代入して、また別の生徒に「好きな数言って」で代入。数人当てたところで「ではこれがnだったら?」。
難なくついていける人と、わたくしのように「急にnとか言われても…」とがくっきりと分かれ、理系アタマってあるんだなぁとつくづく思わされることばかりでした。
理科では、わたくしの人生を変えるできごとがございました。
これも学年始まって最初の授業で、先生が、
「マンホールのふたはなぜ丸いか、班ごとに話し合って発表せよ」と。
まあ、n角形であればかならず辺より対角線が長くなって、マンホールにふたが落ちてしまうから、とか、強度の問題とか人の胴体が円筒形だからとかいろいろあるのでしょうけれど、わたくしの班にいたMちゃんが、
「そもそもあの地下に続いた穴には名前などなかった。それを誰かが『丸い穴』すなわち『丸ホール』と呼ぶようになり、それが転じて『マンホール』と呼ばれるようになった」
という説をとなえました。
「マンホールはなぜ丸いか」ではなく「あの穴はなぜマンホールと言われるのか」という逆転の発想。
彼女はきっと覚えていないと思いますが、わたくしにとっては「命題を疑う」という視点を得た最初の経験でございました。
行事が多くて忙しい学校でしたが、おかげで中二病になるひまもなかった中学生活でございました。
…読み返すと、厳しいばかりであまり楽しそうではありませんが、いやこれがめちゃくちゃ楽しかったのでございますよ。楽しそうに書けないのは、わたくしの文章力のせいでございましょう。実際、地元に残っている同級生はほとんど自分のコドモも同じ学校に入れているぐらいですから…。
おうちにある豆柿の実から柿渋を作るところからやってみたい!と言ってらしたのですが、柿渋って匂いがきついし粘りが出ないように保管するのが大変だし、市販されている「染色用柿渋液」を買ったほうが早いですよぅ〜、なんてことを書きながら、そういうわたくしもタデアイを栽培して生葉染めをしたことがあるので「手間が」とか「効率が」とか言えた義理ではないのを思い出しました、ははは。
で、写真が見たいとおっしゃるので探してきました…
Idyllさんのコメントで初めて10年間違っていることに気づきました…は、恥ずかしすぎるぅぅぅ 泣。
撮影したデジカメは前世紀(=20世紀)に購入したものです 笑。

(リビングだと思うのですが、椅子しかない…? やたら座面の高い中国のアンティークを買ったので、テーブルはオーダーで作ってもらったのですが、夏にはまだなかったかも…汗)
たしか、左が夫の作品、真ん中と右とがわたくしの作品です。一応、たこ糸で縛る程度のことをしたはずです。染色用の絹の無地のストールです。両サイドは表面がざらっとしたデシン、中央はサテンだったかと。
夫は美的センスがあるので(わたくしと結婚した理由は謎)青い空に白い雲が流れているような模様になったのですが、わたくしは技巧に溺れていじくりまわしていたら色が濁ってしまい(右側)、急いで残っていた藍を摘んできて、染め直したのが真ん中のものでございます。
まあ、色としては「瓶覗き」程度ですが、相対的に藍の葉の量が少なかったことが最大の原因だと思われます。
造成されたばかりでほとんど栄養分のないまさ土に直播きし(しかも家の裏手にあたる北側に)、定植もせず(たしか…)、かなりテキトーに栽培したわりには頑張って大きくなってくれましたが、それでも葉っぱだけにすると大ぶりのボウル1杯くらいだったように思います。
あ、茎から葉っぱを取る作業もけっこう面倒でした 笑。
葉っぱと水とをミキサーにかけてふきんで漉した液は、ごくフツーの植物の汁の緑色でしたが、濡らして絞った生地を浸けてしばらくたぷたぷと揺らし、引き上げると濃い草色だった生地が空気に触れて見る見る青くなってゆくのは不思議でもあり、楽しくもあり。
idyllさんのところには、野菜を作れるほどの土質&広さのある畑がおありだそうですから、真面目に栽培すればストール1本くらいは藍色に染められると思います(保証はできませんが…汗)。
ただし、この「生葉染め」、色素がタンパク質にくっつくのを利用しているので、ウールや絹など動物性のものしか染まりません。木綿や麻は…呉汁(水で戻した大豆をミキサーにかけて漉したもの…まあ、言うたら薄い豆乳です)に浸けたりして処理すれば染まらなくはない…とは思いますが、素晴らしく褪色いたします。
約8年後、2013年現在はどうなっているかというと…。

ただ面白がって染めただけで、1回くらい使ったことがあるかなあ、どうかなあという程度、あとはねじねじしてクロゼットの中の引き出しの奥で眠っていたので、日光や洗濯で褪色したわけではありません…。
というわけで、綿や麻を合成のインディゴではなく「藍」で染めるならば、水で薄めるだけの液体の藍を買ってくるか、収穫した藍からすくもを作るかだと思いますが、柿渋を作ろうという情熱があればすくもも作れるのではないでしょうか(こちらも保証はできません 笑)。
買って来たすくもからハイドロ建てで木綿を染めたことはありますが、すくもを作ろうとは思ったこともございません 汗。
でも、もうほとんど絶滅していると言っても過言ではない(いえ、頑張っている染色家さんや農家さんがいらっしゃるのは知っていますが…)日本の藍を種から育てて、最終的に仕立てるところまで自分でできたら、それはそれは充実感があると思います。
ちなみにわたくしの「染色部部長」というのは自称ではなく、中学校に本当に「染色部」があって部長をしておりました。今はどうなっているのかわかりませんが、わたくしが中学生のときは、週に1コマ授業の時間を使ってやる「正課クラブ」と、放課後にやる「課外クラブ」とがございました。スポーツで大会に出たりするのは「課外クラブ」のほうですね。
で、染色部も「課外クラブ」だったのでございます。
ろうけつ染めで模様を描いて藍染めをしたり、なぜかレザークラフトなどもしておりました。レザークラフトの革や、染め物の生地代くらいは自分持ちでしたが、道具類は学校持ちでございました。染色用のほうろうの寸胴鍋や電気式のろうを溶かす器具、レザークラフトの刻印など、値の張るものは学校持ち…と言っても、各部活と予算の折り合いをつける会議なども当然ございます。
普段から、カタログを見ながら「アルファベットの刻印欲しいね〜」とか言っているので、予算はなるべくたくさん欲しいところでございます。
染色部の活動など、とくにチームワークなど必要ありませんから、部長と言っても肩書きだけなのですが、唯一部長らしい仕事がこの「予算取り」。
なんだかんだとうまいこと丸め込んで、野球部の次くらいにたくさんお金を貰っておりました。
…部員、3人しかいなかったんですけど 笑。
スポーツ系の部活同様、夏休み期間中も週に1度くらいは学校に来て「部活」をしなくてはならないのですが…そのときに部費でアイスを買ったことは秘密です(爆)。時効ですよね…汗。
実験的側面の強い学校であったことも関係があるのかもしれませんが、妙な学校でございました。
4月、学年が変わって最初の体育の授業は必ず「行進の練習」。
先生の「ぜんたーい、とまれ(いち、に)」で足音が全員びたっと止まるまで延々やり直し。
行進しながら二列縦隊を三列縦隊に、そしてまた二列に。
「番号!」と言われれば首だけ横に動かしてものすごい速さで番号をかけ、最後の人は手を挙げる。
そして「解散!」と言われたら返事は「わかれます!」。
春の社会見学、秋のバス旅行などは一切なく、代わりにあるのは夏休み期間の「宿泊訓練」と秋の登山。
この宿泊訓練というのが、かなりヤバいラインまで肉体を酷使するもので、山に行けば炎天下で本気のオリエンテーリング。地図と磁石とを頼りに、ポストを探して走る走る。海に行けば全員参加の遠泳は2キロ。「夜、布団の中でコイバナ」とかありえません。みんなただ泥のように眠るばかりでございます。
もちろんおやつなど厳禁。屋外でぜえはあ言っている間に荷物検査をされ(今だったら問題かも…)、かばんの中はもちろん、スカートのポケットに入れていたガムまで没収される始末。唯一見つからなかったのは、避難ばしごの赤い箱の中にキャンディーをひと袋隠していた勇者Tちゃん 笑。
朝は国旗掲揚から始まり、夕方には国旗降納、国旗のたたみ方までもれなく習います。
秋は登山…と言ってもスニーカーにジャージ程度で日帰りで行けるようなところでしたが、もちろんこちらもおやつ禁止…どころか、お昼のお弁当におかず禁止…。あ、梅干し1個までは可でございました。
中学生活を通して、おやつを持っていってよいのは三年生の修学旅行だけでした。ここまでくると、学校単位で出かけるのに、お菓子があるほうが違和感を感じるようになっています 笑。
体育以外の授業もヘンでした。
数学は、新しい単元が幾何ならば「次の授業ははさみを持ってくること」。1時間ずっと画用紙に線を引いて切ったり折ったり。代数ならば先生が任意で当てた生徒に「好きな数言って」。その数を式に代入して、また別の生徒に「好きな数言って」で代入。数人当てたところで「ではこれがnだったら?」。
難なくついていける人と、わたくしのように「急にnとか言われても…」とがくっきりと分かれ、理系アタマってあるんだなぁとつくづく思わされることばかりでした。
理科では、わたくしの人生を変えるできごとがございました。
これも学年始まって最初の授業で、先生が、
「マンホールのふたはなぜ丸いか、班ごとに話し合って発表せよ」と。
まあ、n角形であればかならず辺より対角線が長くなって、マンホールにふたが落ちてしまうから、とか、強度の問題とか人の胴体が円筒形だからとかいろいろあるのでしょうけれど、わたくしの班にいたMちゃんが、
「そもそもあの地下に続いた穴には名前などなかった。それを誰かが『丸い穴』すなわち『丸ホール』と呼ぶようになり、それが転じて『マンホール』と呼ばれるようになった」
という説をとなえました。
「マンホールはなぜ丸いか」ではなく「あの穴はなぜマンホールと言われるのか」という逆転の発想。
彼女はきっと覚えていないと思いますが、わたくしにとっては「命題を疑う」という視点を得た最初の経験でございました。
行事が多くて忙しい学校でしたが、おかげで中二病になるひまもなかった中学生活でございました。
…読み返すと、厳しいばかりであまり楽しそうではありませんが、いやこれがめちゃくちゃ楽しかったのでございますよ。楽しそうに書けないのは、わたくしの文章力のせいでございましょう。実際、地元に残っている同級生はほとんど自分のコドモも同じ学校に入れているぐらいですから…。
by cotorisuki
| 2013-02-27 19:05
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